きえないで

お盆休みを機に実家に帰省した

前回の帰省は直後にコロナにかかって動けなかったので、一年ぶりに父方のおばあちゃんちに行った

おばあちゃんは90歳ぐらいで20年ぐらい前におじいちゃんが亡くなってから、実家から5分ぐらいの叔母の家族と暮らしている

両親が共働きだったので幼稚園の時から平日と土曜日の夕方はおばあちゃんちに行って夕方のアニメ見て夕飯を一緒に食べて、親の帰りを待つ そんな日々が日常だった

中学までその生活が続いたけど、高校生になってから帰るのが親より遅くなり、平日は夕飯を食べに行くことがなくなっていったけど、土曜日は毎週夕飯を一緒に食べるのが習慣になっていた

中学過ぎから今の性格になってきてあんまり会話したり会いに行くのも少なくなってきた

高校を卒業し、大学東京に出てからは、帰省の際に必ず顔を見せに行って、ウチの家族と叔母家族で合わさって宴会みたくしてご飯を食べるのが当たり前になっていた

今の自分があるのもおばあちゃんのおかげといっても過言ではない

数年前おばあちゃんの認知症が発覚した

 

去年最後にあった時は顔は覚えてるようだったけど、俺と弟と父親(息子)の名前とかがごっちゃになってた

多分父親の若い頃を俺らと間違えて見えてたんだろうな

 

・・・怖い

正直怖かった

 

実はもう一人の母方のおばあちゃんも認知症であり、亡くなる数ヶ月前にはもう自分の名前も覚えてないほどに認知症が進んでしまっていた

母方のおばあちゃんと最後あった時、俺の顔も名前も分からないのに、必死に思い出そうとしてて、見てて本当に辛かった

養護老人ホームで最後あった後、思いっきり泣いた思い出

こんなことならいっそすべて忘れてくれたら嬉しいのかなとも思えた

 

そのトラウマを持ちつつ、一年ぶりにおばあちゃんと会う

叔母の家に行き、ちょうど甥っ子がいたので案内してもらい遂に再開

開口一番「どちらさまですか?」

 

・・・うん、わかってた

正直そうなるだろうなって気持ちはしてた

去年の時点で分かってなかったから、もう覚えてないことは覚悟してた

俺のことを、おばあちゃんの様子を見に来た近所の人ぐらいに見えてるんだろう

とりあえず、長居はせず・・・いや、できなかった

おじいちゃんの仏壇に挨拶してお土産を置いてすぐ帰った

泣きはしなかったけど、辛かった

もう完全に覚えてないってのも辛いものだった

もっと帰ってきて会いに行くべきだったんじゃないかと何度も思う

もっとおばあちゃんとしゃべっていつまでも心に残る存在になればよかったと思う

 

俺はもうたまに会う名前が分からない人かもしれないけど

俺の中の思い出は消えないから

あの日々はずっと覚えてるから

おばあちゃん、まだまだ元気でいてね

またね、おばあちゃん

おばあちゃん、ありがとう